クアドリラは思考の道具
3月頃からクアドリラにハマっているYOSHIくん。毎日遊んでいます。朝起きたら「どんなん作る?」とまず一つコースを作ってビー玉を流さなければ、お着替えと朝食に移れません。保育園の帰り道でも「どんなん作る?」と。帰ってからいくつもコースを作って、よしパパはなかなか夕食を作れないのが毎日の悩みの種です。
でも、これだけ潤沢に積み木があると、なかなか飽きません。様々なコースを作っては崩し、YOSHIくんは新鮮さを求めて新しいコースを開発します。そんなことを繰り返していくうちに、YOSHIくんはそれぞれの積み木の特性と使い道を理解し、複雑なコースを組み上げるようになりました。もはやよしパパママも、YOSHIくんのような複雑なコースをサクサクと短時間で組み上げることはできません。
積み木のコースを組んではビー玉を流し、小さな成功体験を重ねて、さらに難しいことに挑戦しているようです。YOSHIくんの作ってコースを見ると、よしパパママが思いつかないようなコースを作り、驚かせてくれます。YOSHIくんの頭の中でこんなコースができていたのかと感心させられます。YOSHIくんにとってクアドリラは思考して、それを実現するための道具になっているようです。もはや、おもちゃと呼ぶにはもったいない。「思考の道具」とと言ってもいいのかもしれません。
じーじばーばに「ビー玉ばっかり転がしてないで、外で遊びなさい」と言われるのももっともなのですが、こんなふうにして、考えることを楽しみ、新たなものを開発する喜びを得ることも大事な経験ように思えます。