よしパパ diary

2年半の育児休業を経て、ワーキングファーザー(?!)2014年10月生まれYOSHIのパパによる育児の記録です。

初めての個人懇談会でした

夏休みに入る少し前、YOSHIくん初めての個人懇談会がありました。よしパパママそろっての出席は、かなり異例でしょう。でも、心配は心配。初めての学校生活、先生からどんな言葉が発せられるのか、気になって仕方がありません。勉強のことはさておいて、学校の友達とちゃんと仲良くやっているのか、先生を困らせていないか、直接聞きたいところであります。

結果としては、目新しい話は特にありません。これまでの生活の延長上で、自分の世界に入ってしまって、よしパパママが困っていることは、学校でも同じだし、しっかりできていることはできている。

みんながわりと当たり前に使っている「残念」という言葉には、過敏に反応しているようで、学校でもとてもいやそうとか。同学年のお友達より、精神年齢が高いらしとの話もありました。よしパパママが一番心配していたお友達との関係の中で浮いていないかということに関しては、まだ1年生なので、そんなレベルの付き合いはないようです。その点は、ひとまずほっとしました。

勉強についてはよくわかっているので、「そんなん知ってる」などと言ってしまうらしい。よく知っていることをくどくど説明されることはいやなので、そうだろうなぁという感じ。先生としては、「みんなと一緒に勉強できれば...」という言葉がありました。

学級を運営していく立場としては、当然のコメントでしょう。26人もの生徒を束ねて一様にカリキュラムを消化していくためには、そうあってくれることが都合がいいですから。いや、そうでないと学級運営なんてできないでしょうから。

でも、「教育」とはそういうものなのでしょうか?

数十年前は、そんな教育でよかったかもしれませんが、今、社会で生き抜いていくために必要なことは、そんな「良い子」になることではないはずです。

先生が教えやすいように自分の学びの速度を調整したり、自分の興味や努力にかかわらず、背景も学びの方法も違う友達に合わせながら課題に取り組むことも、学びの一つかもしれませんが、それでは本人が学びたい意欲をそぎ落とし、興味のスイッチを切って、周りの様子を見ながら、なんとなく先生から課せられた作業をこなしていくことが一日の大半を過ごす学校生活となってしまいます。

これまで、YOSHIくんについては、世の中にあるもの全てに対して、興味や好奇心を原動力にして、自ら学びを掴み取っていくことをしてもらってきました。それが、学校という枠にはめられ、束縛されることで、毎日の学びが「消化試合」になってしまいます。よしパパが小学生のときもそうでした。YOSHIくんは「手もあげてくれますし」と先生の評価もありましたが、よしパパは3年生の時に手を挙げるのをやめてしまいました。

YOSHIくんもいずれ、自分の学校生活への傍観者になってしまいかねません。そうならないよう、家庭でできることを考えていかねばなりません。

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